カレンダー
04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
最新TB
プロフィール
HN:
やみつき
性別:
女性
職業:
がくせい
ブログ内検索
アーカイブ
P R
**着火男
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
どぴゅっ
―――おや、流れ星のようです。 (犬と串『宇宙Remix』)
はじめに、
私はバッドエンド王国の住人ではありません。
主人公とヒロインなら結ばれた方がいいじゃないすか。
せやろ。 親友は死なずに、さ。
悪は倒され。 場合によっては改心なんかしちゃってね。
ウルトラハッピー。 いつだってね。
だから、
爽やか→えっち より、 えっち→爽やか の方がいいでしょ。
爽やかえっちなんて、ねえ、ただのエロい話じゃん。和姦だよしかも。
えっち爽やかなら、最後に誰かが笑っていることは明確ですよね。
それが如何なる、如何なるプレイつまりえっちであってもさ。
いいじゃない、終わり良ければ全て良し。 えっち、そして、爽やか。
だから観に行った順は うさぎストライプ→犬と串 なんですが
逆でいきます。
ちなみにうさぎストライプは爽やかとはちょっと違いました。
あと私はバッドエンドの方が好きです。
まず、犬と串の話ですが、
犬と串 というのは劇団名です。
早稲田大学の演劇研究部という馬鹿でかいサークルの派生劇団でしたが
今回の公演を最後に早稲田を出て小劇場界に進出するらしいです。
それまで聞いたことなかったのですが、
大学の友人がごり押ししてたので、一緒に観に行くことに。
『宇宙Remix』 作・演出共に劇団員であるモラルさん。
2030年、2040年、2060年の、地球。
それぞれの時代での、人類と宇宙の関係。
宇宙に人類以外の生命体がいないということが発覚した2030年。
それからというもの、すっかり自信を無くした人類は卑屈にも”鎖星”という形をとり、
宇宙というワードすら口にすることも許されない時代になる。
しかし、2040年に発見されたとある動画をきっかけに、
再び人々の関心は宇宙へ向けられることになる。
宇宙には、生命体が存在する。
でも彼らは、地球人は面白くない、つまらないと言う…。
地球外生命体の存在に希望を抱いた2040年の若者達は、
宇宙へ旅立つことに熱中するようになる。
いかに馬鹿なことをやって、宇宙人の気を引くか。
それだけに情熱を注ぎ、人々はこれまでに類を見ない
馬鹿を、阿呆を、剥き出しにした。
地球外生命体、
そしてツンデレな宇宙そのものを、振り向かせる為に。
そんな話です。
クソ真面目に誰得でもないあらすじを書きましたが
あんまりこの通りには進まない。
というのも、
2040年から馬鹿ってワード出しましたが最初から馬鹿全開でした。
最初から頭おかしかったです。
最初からマジキチだったし
具体的にキチっぷりを言うならば
劇中3回出てきた所謂セクロスシーン中
2回はホモでした。
しかし、3回ともバックでした。
なんつーかここまで爽やかに馬鹿馬鹿しさを追求する舞台
というのは始めてだったかもしれない。
特にメッセージ性とかもしかしたら無いのかもしれない。
でも言いようのない爽やかな気持ちは確かに残ります。
スカッとする、とはこのことだな、と。
ある種の羨ましい気持ちなのかもしれない。
ああ、馬鹿やりたいな、っていう。
やりたいように、むちゃくちゃなことやれば、宇宙とか行けるよっていう。
それは早稲田で観たものだったから余計だったのかもしれない。
学生のエネルギーを感じました。
爆発しそうな中身は持ってる、しかも仲間がいるから起爆もできる、
それでも足りない、みたいな。
大学生ってある程度大人だったりして、
高校生には無かった酒と性欲の気配がどの舞台観てもすっげえぷんぷんする。
だから、まあ演劇に限定した話ではありますが、
そいつが一体誰なのかというより
高校生が高校生であるということだけである意味ブランドだし、
大学生になったからって世界が広がるばかりじゃない。
もう彼らには一生触れられないキラキラした絶対領域がある。
それを失うってのはマイナスなんじゃないかなぁ。
でももちろん高校生では到底掴めなかっただろう生々しさってのは、
大学生というブランドを手にした時点でそれこそ思うままなんだろうけどなぁ。
あとね、舞台上で煙草っていうのは、痺れたよ。
21日ぐらいまでやってるようなので、是非…。
予想以上に長くなってまいりました。
続いて、うさぎストライプ。
これは蘭さんご出演の舞台でした。in小竹向原。
うさぎストライプ自体は前に蘭さんと一緒に観に行ったことがあったのですが
話変わるけど今正に既視感を感じているこれ前に書いた気がするまあいいや
話戻すけど今回は知り合いの先輩×2と観に行きました。
演劇部時代の友人です。
星の王子さま をね、こないだ読んでさ。
なんつーか、もっと小さい頃にせめて受験始まる前に読みたかった
っていうのが正直な感想でしたが、
読む前にですね、
うさぎストライプ主宰であり劇作家演出家でもある大池さんの
星の王子さまってつまり恋の話だったよね
っていう発言を見てから臨んだものだったので、
恋の話だなぁ、これは、しかも王子さまはその、
結構普通の男の子だなぁ、と思いながら読んでだな。
だからその、
星と星っていうさ、遠いじゃないすか。
どうしますその、別の星にあなた、好きな人いたら。
辛くね?
遠距離とかもそりゃしんどいんだろうけどさ。
現実的になるなら今携帯とかあるじゃん。
割と連絡取り合うのってイージーじゃないすか。
でも星違うんだぜ。たぶん電波飛ばないし。
ツイッターとか繋がらないだろうし。
何やってんのかな、とかさ。
声を聞きたいな、とかさ。
触りたいな、とかさ。
あわよくばチューしたいとかさ。
出来ないよね。
死んじゃったら尚更だよね。
それはつまり、星向こうの星に行くってことはつまり、
今だってぐちゃぐちゃしてたら一つも伝え合えないくらい
もじもじした間柄かもしれないけど、
つまり、それすらね。意味が無くなる。
星向こうの星にいる好きな人にさ、
どう思われてるかな自分、好きってちゃんと伝わってるかなとか、
もう遅いというか無駄というか。
無駄、っていうと冷たいけどさぁ
自分の中にはもちろん存在し続けるわけだけど、
その人それ自身はもう、いないわけだから。
っていうことだな、今考えた。
既視感の正体わかったよ、こないだ観たんだわ同じの。
再演したんです、この舞台。
2回観たことになりますが、
こないだと同じことを、同じように思いながら、
決して動かない壁を押して声をあげる人々を観るときに、
視界の端に大切な人が映ってました。今回は。
それを死ぬほど味わいたかったんだけども。
まあその思惑自体エンターテイメント・娯楽の観客っていう範疇になるけども…
あと舞台後に蘭さんとこっちの知り合いがドッキングするのは何だか
嬉し恥ずかしでした。何か照れちゃう。
良い意味でも悪い意味でも、人は変わる
っていうのは、つまり環境は変容していく。
良いか悪いを判断するのは、個人の中であって、
やっぱり良い事件での被害者は”良い”で死ぬのね。
良いに殺される。
まあ生きている限り、好きって言えるなら
それこそ死ぬほど言うと良いんじゃないかなぁ
それはだってまだ自分らには鎖星は関係無いからね。
―――おや、流れ星のようです。 (犬と串『宇宙Remix』)
はじめに、
私はバッドエンド王国の住人ではありません。
主人公とヒロインなら結ばれた方がいいじゃないすか。
せやろ。 親友は死なずに、さ。
悪は倒され。 場合によっては改心なんかしちゃってね。
ウルトラハッピー。 いつだってね。
だから、
爽やか→えっち より、 えっち→爽やか の方がいいでしょ。
爽やかえっちなんて、ねえ、ただのエロい話じゃん。和姦だよしかも。
えっち爽やかなら、最後に誰かが笑っていることは明確ですよね。
それが如何なる、如何なるプレイつまりえっちであってもさ。
いいじゃない、終わり良ければ全て良し。 えっち、そして、爽やか。
だから観に行った順は うさぎストライプ→犬と串 なんですが
逆でいきます。
ちなみにうさぎストライプは爽やかとはちょっと違いました。
あと私はバッドエンドの方が好きです。
まず、犬と串の話ですが、
犬と串 というのは劇団名です。
早稲田大学の演劇研究部という馬鹿でかいサークルの派生劇団でしたが
今回の公演を最後に早稲田を出て小劇場界に進出するらしいです。
それまで聞いたことなかったのですが、
大学の友人がごり押ししてたので、一緒に観に行くことに。
『宇宙Remix』 作・演出共に劇団員であるモラルさん。
2030年、2040年、2060年の、地球。
それぞれの時代での、人類と宇宙の関係。
宇宙に人類以外の生命体がいないということが発覚した2030年。
それからというもの、すっかり自信を無くした人類は卑屈にも”鎖星”という形をとり、
宇宙というワードすら口にすることも許されない時代になる。
しかし、2040年に発見されたとある動画をきっかけに、
再び人々の関心は宇宙へ向けられることになる。
宇宙には、生命体が存在する。
でも彼らは、地球人は面白くない、つまらないと言う…。
地球外生命体の存在に希望を抱いた2040年の若者達は、
宇宙へ旅立つことに熱中するようになる。
いかに馬鹿なことをやって、宇宙人の気を引くか。
それだけに情熱を注ぎ、人々はこれまでに類を見ない
馬鹿を、阿呆を、剥き出しにした。
地球外生命体、
そしてツンデレな宇宙そのものを、振り向かせる為に。
そんな話です。
クソ真面目に誰得でもないあらすじを書きましたが
あんまりこの通りには進まない。
というのも、
2040年から馬鹿ってワード出しましたが最初から馬鹿全開でした。
最初から頭おかしかったです。
最初からマジキチだったし
具体的にキチっぷりを言うならば
劇中3回出てきた所謂セクロスシーン中
2回はホモでした。
しかし、3回ともバックでした。
なんつーかここまで爽やかに馬鹿馬鹿しさを追求する舞台
というのは始めてだったかもしれない。
特にメッセージ性とかもしかしたら無いのかもしれない。
でも言いようのない爽やかな気持ちは確かに残ります。
スカッとする、とはこのことだな、と。
ある種の羨ましい気持ちなのかもしれない。
ああ、馬鹿やりたいな、っていう。
やりたいように、むちゃくちゃなことやれば、宇宙とか行けるよっていう。
それは早稲田で観たものだったから余計だったのかもしれない。
学生のエネルギーを感じました。
爆発しそうな中身は持ってる、しかも仲間がいるから起爆もできる、
それでも足りない、みたいな。
大学生ってある程度大人だったりして、
高校生には無かった酒と性欲の気配がどの舞台観てもすっげえぷんぷんする。
だから、まあ演劇に限定した話ではありますが、
そいつが一体誰なのかというより
高校生が高校生であるということだけである意味ブランドだし、
大学生になったからって世界が広がるばかりじゃない。
もう彼らには一生触れられないキラキラした絶対領域がある。
それを失うってのはマイナスなんじゃないかなぁ。
でももちろん高校生では到底掴めなかっただろう生々しさってのは、
大学生というブランドを手にした時点でそれこそ思うままなんだろうけどなぁ。
あとね、舞台上で煙草っていうのは、痺れたよ。
21日ぐらいまでやってるようなので、是非…。
予想以上に長くなってまいりました。
続いて、うさぎストライプ。
これは蘭さんご出演の舞台でした。in小竹向原。
うさぎストライプ自体は前に蘭さんと一緒に観に行ったことがあったのですが
話変わるけど今正に既視感を感じているこれ前に書いた気がするまあいいや
話戻すけど今回は知り合いの先輩×2と観に行きました。
演劇部時代の友人です。
星の王子さま をね、こないだ読んでさ。
なんつーか、もっと小さい頃にせめて受験始まる前に読みたかった
っていうのが正直な感想でしたが、
読む前にですね、
うさぎストライプ主宰であり劇作家演出家でもある大池さんの
星の王子さまってつまり恋の話だったよね
っていう発言を見てから臨んだものだったので、
恋の話だなぁ、これは、しかも王子さまはその、
結構普通の男の子だなぁ、と思いながら読んでだな。
だからその、
星と星っていうさ、遠いじゃないすか。
どうしますその、別の星にあなた、好きな人いたら。
辛くね?
遠距離とかもそりゃしんどいんだろうけどさ。
現実的になるなら今携帯とかあるじゃん。
割と連絡取り合うのってイージーじゃないすか。
でも星違うんだぜ。たぶん電波飛ばないし。
ツイッターとか繋がらないだろうし。
何やってんのかな、とかさ。
声を聞きたいな、とかさ。
触りたいな、とかさ。
あわよくばチューしたいとかさ。
出来ないよね。
死んじゃったら尚更だよね。
それはつまり、星向こうの星に行くってことはつまり、
今だってぐちゃぐちゃしてたら一つも伝え合えないくらい
もじもじした間柄かもしれないけど、
つまり、それすらね。意味が無くなる。
星向こうの星にいる好きな人にさ、
どう思われてるかな自分、好きってちゃんと伝わってるかなとか、
もう遅いというか無駄というか。
無駄、っていうと冷たいけどさぁ
自分の中にはもちろん存在し続けるわけだけど、
その人それ自身はもう、いないわけだから。
っていうことだな、今考えた。
既視感の正体わかったよ、こないだ観たんだわ同じの。
再演したんです、この舞台。
2回観たことになりますが、
こないだと同じことを、同じように思いながら、
決して動かない壁を押して声をあげる人々を観るときに、
視界の端に大切な人が映ってました。今回は。
それを死ぬほど味わいたかったんだけども。
まあその思惑自体エンターテイメント・娯楽の観客っていう範疇になるけども…
あと舞台後に蘭さんとこっちの知り合いがドッキングするのは何だか
嬉し恥ずかしでした。何か照れちゃう。
良い意味でも悪い意味でも、人は変わる
っていうのは、つまり環境は変容していく。
良いか悪いを判断するのは、個人の中であって、
やっぱり良い事件での被害者は”良い”で死ぬのね。
良いに殺される。
まあ生きている限り、好きって言えるなら
それこそ死ぬほど言うと良いんじゃないかなぁ
それはだってまだ自分らには鎖星は関係無いからね。
PR